幕末の元治元年7月、八月十八日の政変により追放された長州藩勢力が池田屋事件で激怒し、『藩主の冤罪を帝に訴える』を名目に挙兵しました。久坂玄瑞らは山崎天王山、来島又兵衛らは嵯峨天龍寺、そして福原元僴らはこの伏見長州屋敷に兵を集めて陣営を作りました。福原元僴の軍は竹田街道を北上するも、会津、桑名、大垣、鯖江の藩兵と衝突して禁門の変が勃発しました。福原元僴の軍は敗走して、伏見長州屋敷で態勢を整えるも、京橋から彦根藩の砲撃を受けて、伏見長州屋敷は焼け落ちてしまいました。